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修復

私どもの楽埔町との初めての出会いは、うす曇りの天気の日でした。ほこりをかぶった扉を開けると、かつての住人が塗った青緑色の建築物は木の色合いを隠し、玄関脇には野草が伸び、地面は生い茂るツタで覆われ、この空間が一定期間忘れ去られていたことが暗示されていました。
建物周りは囲われ、完全な造りをもち、かつて中・高級官僚の官舎に属し、曲尺型(L字型)の空間配置で、屋根は高低差が程よくその層は整然としていました。中に入り、縁側に進みました。夏にはそよ風を楽しむこのスペースは、木材の多くがすでに朽ちていましたが、庭に目をやると、山石と石灯籠があり、のんびりとした優雅な生活が想像できました。
木造建築には生命があります。その桁組み・下見張り(壁)・切妻造り(屋根)・窓格子などのパーツは、時の流れとともに老朽化し、腐朽し、崩れ、あるいは先住者によって交換がなされていました。その修復時にもまだ使用できる部分を選び、現代技術を合わせて補強作業を施しました。年を重ねた父母のように、自身の特色と性格が遺伝子によって次の世代に受け継がれる世代交代は、文化にも言えることです。
考証を重ね、私たちは建物のスタイル形式を復元し、現代の使用に影響のない強度を前提に、できるだけ伝統的工法を採用しました。例えば、土塗り竹小舞壁は、粘土・稲草・もみ殻を調合し乾燥させることを繰り返して、最後にモルタルを平らに塗ります。下見張りは、注意深く並べられ保護のための漆を施します。そして新旧の黒瓦が並べられます。
丹念に防腐・防虫処理を施した木材は、木工職人の指導の下で桁組みが組まれ、再び人々の生活を支える骨組みとなりました。これからの楽埔町を行き来するそれぞれの影はみな、新旧の材料たちの絶間ない対話の変化が感じられる、昔ながらの日本家屋の風雅が再現されました。